メジャーデビューまでの道(はてなブログ)

日記を書く事で、自分で自分を見る事ができる。だから書いてるよ。

同窓会とは非日常である

世間では良いところと思われている学校の場合には、出席する者は、自分の抱くイメージの自分で出席するようだ。

 

マイペースになれたならカッコいい。

 

そしてその場にあまりにも『ふさわしい人』も。

 

SNSは魔法の鏡だ。

 

あの時の級友たちの25年後を覗き見た。

 

50台半ばの女性はまだまだ若い。

 

あの光り輝き、スポットライトの真ん中に常にいた世代の女子大生のままのよう見えるのは、わたしの色眼鏡か。

 

わたしの事をクラスの人は『学生寮に入っている大学デビュー(いわゆるエスカレーターに乗っていなかった)の田舎者』背が低い事以外は何も目立っていなかった。と想像してしまうのは、コンプレックスなのか?

 

すっかりそこの卒業生であることを忘れていたけれど、校歌は忘れていなかった。

 

北野ガーデンでフランス料理を食べた。

 

10年前、演劇をはじめる前、そこがわたしの居場所になってくれたらと願いよく通い、先輩方の後を付いて回った。

 

当時わたしは若いほうだったが、10年後ふと出席してみたら、相変わらずわたしは若い方だ。

 

憧れの先輩方はびっくりするほど印象が変わらなかった。

 

毎日そこの卒業生である事を意識して生き、幸せであろうとする人は、いつまでも美しいことを知った。

 

今回の幹事が驚くことに、たまたま同じクラスの中からふたりいた。卒業してはじめて会ったのに、その一瞬でわたしは女子大生になり、今どこの誰なのかを忘れた。

 

来年の京都の幹事を、その二人と一緒にやって欲しいと声をかけられ、光栄だけれど足元から時流が歪んで、うまく立てなくなりそうで怖いような。

 

今わたしの心は、あの女子大のキャンパスに行ってしまい困っている。

 

姫路と結城の間の東京にいる。