自分のことなのに、こんな風になるとは思いませんでした。
主人の病気のことを隠し、明るく卒業式を迎えるはずでした。
しかし、どうしても卒業前のにぎやかなチャットを見るのが辛くなり、逃げてしまいました。
卒業式でも、作り笑顔を続ける自信がなく、みんなと違うテンションで顔を合わせたくないから、逃げてしまいました。
それでも昨日、運営とコーチから直々のお電話をいただき、
「今の気持ちをシェアしても、きっとチームのみんなは受け止めてくれますよ」
の言葉を信じて、話してみて、卒業式というけじめができて、本当に良かったです。
逃げたら後悔しか残らなかった。
4ヶ月辛い思いをしたのに、後悔を残したくなかった。
話すと決めてから、ずっと涙が出て、そしてその涙はなぜなのか今もわかりません。
でも、話してみたら、何をそんなに隠していたのかわからないくらいの、小さな事でした。
『人はだませても、自分はだませない』
そんなこと当たり前だと思っていたけれど、今回実感しました。
皆さんのシェアも、告白大会でした。
お食事の入力をズルしちゃったり、腹筋の足上げを上げずにつま先を床に付けてしまったり。
そんなお話を聞いても、人のことは許せるのに、なぜ自分のことは許されないと思うのでしょうか?
勝手にみんなの雰囲気を壊すと思ったのでしょうか?
全てが思い込みでした。
なんと凝り固まった頭でしょうか?
心はとっくにみんなを信じていたのに。
心の声をもっと聞きに行かなくちゃ。
心の扉の奥の扉をノックしに行って、またその奥に鍵のかかっている扉があったりするでしょう。
そして、誰にでもまだ辿り着いていない、美しいお花畑があって、もう見ている人、まだ見ていない人。
わたしはまだです。新たな旅の始まりです。