お姑さんが生きていた頃、毎月病院の検診に付き添った。
その時中年の女性が(きっと彼女も同じだと思うのだけれど)車椅子のおばあさんを罵っていた。
その中でも印象的だったのは
「文字も読めない」だった。
それはおばあさんのせいではなく、家庭環境だったり、そして時代のせい。なんと理不尽な事を言うのか!彼女に言いたかったが、言えなかった。
ただ忘れられないシーンとして、ずっと心に残っていた。
今、わたしは認知症の主人に、言っても仕方ない事を言ってしまう。何度も。
その度に、わたしも傷つく。
主人の姉3人に、要支援2でデイサービスに週に2回午後行ける事になったと報告した。
すると「まゆみちゃんが寄り添ってあげる事が一番大事だから、頼みます」と返事がきた。
ほぼ一緒に過ごしているわたしに、なぜそんな事を言うのだろうか?
わたしは会社に連れていき、昼ごはんも一緒にたべる。
ただ会社で座っているだけでもしんどくなるらしい。
それでもリハビリと思い帰りに一緒にスーパーて買い物をするよう声かけして、カートに捕まらせる。それを日課にしている。
帰ったら着替えを手伝い、夕食を食べさせる。
それでも、理不尽に急にどなられる。自分の身体が思うように動かないイライラをわたしにぶつける。
「認知症じゃない、何でそんな言われ方をしなければならないのか?」とも言う。
わたしは、フランスの姉の毎回心ないマウンティング返信に辟易して、LINEをブロックした。
もうひとりの姉は、決まって大阪なのに「遠いから何も出来ないけれど」と付けてくる。出来ないのではなくて、する気がないだけとしか思えない。
助けてくれるのは、会社の従業員の男性ふたり。
その人たちは他人なのに、何でここまでしてくれるのか?と思う。これまでしてきた主人の人徳もあるのだろう。
わたしを助けてくれるのは、実家の弟くらいだ。
実家に帰りたい。でも主人にとっては見知らぬ土地。
この便利な駅前のマンションはとても気に入っているし、演劇のおかげで知り合えた人達もいる。
まあ、そんな時もある。
ただ落ちていく一瞬の砂時計の砂のお話し。