主人がいない。
玄関先で車椅子に座っている。
もう、車椅子を歩行器代わりして歩く事も出来なくなってしまった。
家の中も壁伝いでヨロヨロと歩く。
「入ってきて」と声をかけると
「辛い」と応えた。
自分の気持ちをなかなか言わない人なので、よほど辛いのだろうと、散歩に出ることにした。
二階町商店街から大手前通りに出て、ベンチに座ってタクシーが通るのを眺めていた。
斜め前には、長女夫婦が、お互いの両親だけを呼んで11月にウエディングを挙げるビルが見える。
先日の和装ウエディング衣裳と着付けのサプライズプレゼントは成功したことを、主人に伝えた。
わたしからとは言ってもらえなかったらしく
「ある方からのサプライズプレゼントです」
と言われ、娘は昼間わたしにおそるおそる、確認の電話をかけてきたのだ。
ちょっとわたしの想像していた展開とは違ったな。
まさか、贈り主を隠されるとは思わなかったな。
主人に何が辛いのかとゆっくり聞いてみた。
ひとりになるのではないかと不安らしい。
それは、わたしも同じ。
わたしの実家に行きたいらしい。わたしの家族と会いたいらしい。
でも、自分の兄弟には会いたくないと言う。
「もう十分やった」と言う。
自営業だったので40年間働いてきた。
1代目が父、2代目が母、そして3代目の社長が兄だ。
仕事は過酷を極めていたから、思い出したくないのかもしれない。
30分ほど心地よい夜風に吹かれ、また車椅子を押して商店街を戻る。
すると新聞配達の少年がいる。午前3時半。
こんな時間の子供の労働は、新聞配達なら許されるらしい。
商店街を歩きながら、今日行ったザッパ村の『編み編みクラブ』で、ランチタイムに聞いた話を思い出した。
その方は、ご自身が30代の時に、母親が認知症になった。でも健脚で方向感覚ば抜群なので、デイサービスに行っても、家に歩いて帰ってきてしまうらしい。
しかも日に最低2往復。
デイサービスの方は、見守りながら付いてきてくれるらしい。
認知症のお母さまは、家から電車に乗ってしまったり、一度は雨の森の中を歩いていたりと、探すのに困難な時もあったが、亡くなってみると思い出だと言っていた。
わたしもこうして、毎日この姫路の街中に思い出を作る。
そして、もし一緒に住めなくなったら、思い出だらけのこの街には、とても住めそうにない。
その方のお母さまも83歳で亡くなり、ご主人も50代で亡くなり、娘と住む予定だそう。
聞いた話の中から
「GPSを見たらどんどん移動していて、何と電車に乗っていたの」
という話を主人にしたら、おかしそうに笑ってくれた。
何を聞いても「うん」しか言わない事が多いが、少しだけ今日は気持ちを聞けて、良かった。
無事帰り、漢方薬と冷たいお茶と玄米のおにぎりで落ち着いてくれた。
今はソファーでテレビを見ている。