毎年、劇団では『あの夏』という原爆の朗読劇をしています。
被爆した人達の手記が、かわいそうでならなかったけど
10年演じて、もう他人事ではなくなりました。
それは、わたしの話し。だから悲しく苦しく、でも、もっと奥に『怒り』があったのか!と気が付きました。
なぜ!こんな恐ろしいものを、人間が人間に!
演出のこばやしさんに、ただ綺麗にナレーションを読むのではなく、
「内にドクドク血が流れるような怒りがあるような」
と言われ、おどろおどろしく表現してみたけれど、それも違うと言われ
さて、どうしたものか?と読んでいるうちに(わたしは何役か読み分けるパートですが)ひとりひとりを演じるのではなく、全てひとつの話しなのかな?
と、今回はじめて気がつきました。
今までは自分の役ばかりに集中していたけれど、作品の一部なのかな?と。
今までとは違った表現を見つけられそうです。
観にきてね。