同じく姫路の「プロデュースF」という劇団に、7月から入団しました。
えすぷろの朗読劇のスタッフに決まっていたので7月は、かけもちでした。
なぜ移ったのかお話しますと、計算したのでした。
えすぷろは年に二回の公演ですが、Fは年に五回くらい公演します。つまり舞台に立てる回数が多いからです。
もうひとつは、年齢層も20代中心の若い劇団の中で新人の成長著しいのを目の辺りにして、オーディションで役を勝ち取れるのかと、不安になったのでした。努力では乗り越えられない、見えない壁をかんじながら稽古をしていると、どんとん自信もなくなって、気がつくとうまく声をだせなくなりました。
Fは同世代の方が中心で、人数も少なく、すぐに役者としての舞台を用意して下さいました。
その舞台は、9月末です。
原爆の被爆者が書いた詩を朗読いたします。
はじめての読み合わせの時に、あまりの衝撃に涙で声が何度もつまり困りました。
さっそく感情をおさえるようにダメだしされました。
全く同じ内容です。
「しょうじよう やすしよう しょうじよう」と、何度も子供の名を呼ぶだけの詩も、頂きました。
役者として30年のキャリアをもつ方々の中で、修行させていただいております。
劇団を変わる決心をするまでの長い間、そして昨日まで、えすぷろと別れるさびしさに、こころがまるで赤く腫れ上がって痛くて仕方ありませんでした。
さぞかし今日は辛いだろうと想像していたのに、不思議ととてもおだやかです。
まだ実感がわかないのかもしれません。よくわかりません。また自分の今後の気持ちを観察していこうと思います。
いろいろな気持ちを感じ続けるのが、役者の仕事ですものね