鄭義信作演出『赤道の下のマクベス』
金曜日、お葬式の次の日に観に行きました。
兵庫県立文化センター中ホール。5000円。
俳優?女優?もしくは役者とも言う知り合いがたくさん来ていました。
東京の国立劇場ではロングランで公演をしていた作品ですが、こちらでは平日に2回だけでした。
東京と地方のこの差は、人口ではなく観劇人口が少ないのでしょう。悲しい。
これは鄭さんの代表3部作と同じ「記録する演劇」です。
BC級戦犯が死刑にあうまでの間の牢屋での日々が『絞首刑台がある牢屋』の場面だけで描かれています。
死刑囚6人と監視のアメリカ兵3人。全員男。
死刑囚たちがお腹を空かせ考えるのは食べ物と、シンガポールチャンギ刑務所の赤道の熱さと、女の事。
その中で、自分たちの生活を日記に書き続けた死刑囚がいました。
パンフレットによると趙文相(チョウムンサン)さんの手記『世紀の遺書』からのセリフもあるそうです。
「日記を書く事が心にろうそくの火を灯したように温かくなる」というようなセリフが劇の最初と最後にあります。
「何十年先、いつか誰かが読んでくれるかもしれない」という生きた証の灯火。
リンチにあう日々。また上官の命令でした事の罪を償わなければならない不条理への怒り。
死刑仲間と交わす他愛ない会話の時間つぶし。
鬼のように厳しかった上官と部下の確執。
不本意に人を殺してしまった事を後悔し続ける人。
パンフレットの写真を見ても俳優とは思えず、まさにその役を生ききった素晴らしい役者さんたち。
そして、それが目にも心にも焼き付いた観客。
少なくとも役者と観客はこの劇を通して確実に「記録」されました。
役者さんたちの、緩急のセリフには鄭さんの法則があるのでしょう。演出方法の『企業秘密』でしょうか?理論として盗みたいものです。
声の強弱や高低とかも、どんな心情の時どうなるのか?理論的に盗みたいです。
だって鄭さんの話しに出てくる登場人物たちは、究極に辛く悲しく切ない経験をしているのです。
同じ経験をするのは恐ろしいです。
大事な人の死を前にして高い声で早口に話すのを聞きました。
あの声を思い出すのは辛いです。