プロデュースFでは、スキルアップするために、外から先生をお招きして朗読、そしてゴスペルを教えて頂いております。
どちらも月一回で、劇団以外の方も1500円で参加されてます。
今日は佐藤愛子さんの「蚊帳」を読みました。
わたしもいつの間にか、演劇人になったのでしょうか?
たとえば「広々して」というところをつい大げさに読んでいたらしく、サービス精神と言われて、恥ずかしかったです。
情景を思い浮かべながら、声に出して伝えるということでは、演劇のせりふと同じはずですが、違うところも多いです。
単語の一つ一つのイントネーションも、先生は注意して下さいます。
「庭に向かって座敷の縁側寄りに嵌まっていた雪見障子」は、ひとつの意味なので、一気に言う。
全部をていねいに読まないで、情景や気持ちが変わったところのみ強調する。
「そんな」は大事に読むと教えていただき、大事に読みすぎてかえって不自然になっていると、ばれてしまいました。
終わり近くからは、聞いている人がそろそろ文章のまとめに入っていることをわかってもらえるように、声もスピードもだしおしみする。などなど。
声を職業にしている方は、超能力がありますね。
同じ文章を読んでいても、読み手の気持ちは全てお見通しです。
文章もわたしが無意識に書いていても、読む人には何かわたしの気づかない気持ちまでが、にじみででいるのでしょう
今のわたしは、どんな気持ちで書いているのか、後で自分で読んだとき、感じることができるのでしょうか?